相変わらずお馬鹿なシャツは増え続けています。

どこがニューヨークなんだよ! という声が聞こえてきそうですが、僕がNYに初めて来たのは1987年。そのときには、こんなシャツ+でっかいアフロヘアーにカラフルなアフロコーム(プラスチックのアフロ専用櫛)をぶっ刺したブラザー連中がまだストリートにゴロゴロしているのでは、という淡い期待感を抱いて行きました。

しかし、ハーレムに行ってもどこに行ってもそういった感じはすでに流行遅れ、当時全盛のRUN DMC系に押され、ダサ目の年輩連中や流行くそくらえのジャンキーなんかにほんの少し見かける程度でした。

なぜ私がそのイメージこだわるかと言えば、日本に住んでいた頃の自分的なNYのイメージは、やはり70’sのファンキーでソウルフル、しかも危険なものだったから。それらを自分の目で見てみたかった。まあ、勝手な妄想でした。

何が変わったかといえば、80’sの終わり頃までは黒人向けのファッションというものは一部しかなかった。そしてマーケティングの結果、所得に対して服装にかける金額の割合は黒人やヒスパニックなどのマイノリティのほうが、財布のヒモが固めな白人よりも圧倒的に多い、ということをファッション関係者が気付いたということ。
アメリカの標準として機能しているL.L.BEANがモデルに有色人種を起用し始めたのもその頃と記憶しているし、ラルフローレンも時をほぼ同じくしてそういった動きに切り替えました。そんなことを当時、学校で僕も習ったのを覚えています。

すべてはマーケティングを優先して進行していくアメリカンビジネス。プライドよりも金、金、金。クラス〈階級〉はなく、そこにあるのはお金のみ。へそ曲がりには、どうでもいいことですが。(オオフチ)