この一枚は、少し前にブログで触れたP-65( Post O’AllsバージョンのM-65 )になります・・・この個体は、2000年頃?・・・

この時代のみ使われていた、淡いグリーン地のプリント・ラベル・・・今見ると懐かしい・・・ライニングは、玉虫ハケ目のレインボー・ストライプ・・・この頃は、シェルのみならずライニングやパンツのポケット地などに、キャリコやシャツ地、玉虫などの ”らしくない生地” を使う事を模索していましたね・・・

シェルは、オイスター・ホワイトのフレンチ・ツイル(バーバリー・ツイル)・・・昔のAquascutum のコートを思い出す、上質でやや薄手なタイプ・・・エポレットは、無し・・・

と、思いきや・・・良く見るとカットオフされたような形跡が(笑)・・・2000年当時は、ビンテージの初期型はエポレットが無いなんてほぼ誰も知らなかったので、エポレット無しのM-65を提案出来るようなムードではなかったのでしょうか・・・

ジッパーは、小さめのベル型・・・この時期はまだアメリカ製のTALONジッパーは作られていたはず・・・なぜわざわざ日本製のジッパーを輸入して使ったのでしょうか?・・・これは謎ですね・・・

スナップは、ナイロンの小さいものを使用・・・これは、自分で選んだ記憶があります・・・とりあえず、ハードではない方向を目指したのでしょうか・・・

以上、P-65の軍物オリジンらしからぬトリートメントから判断すると、この一枚は ”当時(2000年頃)、ニューヨークで東洋人がファッションとして着ることが可能なM-65”というテーマが透けて見えるようで、個人的に興味深い一枚なんです・・・作業着や防寒着としてではなく、”ファッションとして着ています”というサインが満載というか・・・

 

確かに、日本でM-65と言えば1970年代くらいまではヒッピー用アウターの代名詞〜4畳半と銭湯と下駄が似合う〜ほぼドカジャン(死語?)と同じ、という扱いだったし、1980年代のビンテージ/ミリタリー好きもフライトジャケットは好きでしたが、M-65はほぼスルーしていました・・・そして、この頃(〜1980年代)はファッション好きでも映画タクシー・ドライバーのトラビス(ロバート・デ・ニーロ)をかっこいいと思っている人は少なかったと記憶しています・・・要は、昔はM-65自体ネガティブなイメージばかりだったったんですね・・・・トラビスだって心の病んだベトナム退役軍人という設定ですから・・・

 

と、アメリカも・・・1960~70年代頃までは退役軍人や放出品を着たアンチ・ファッション的なヒッピーのユニフォーム・・・その後は退役軍人の経営するARMY-NAVYと呼ばれる放出品屋で安価で売られて作業着/防寒着として普及・・・その後、1980年代〜1990年代頃になると民間品も多く作られて、ブラックのM-65はゲットーのギャングのユニフォームのようになり・・・そんな中、民間メーカーで人気のあったALPHA社などは彼ら御用達の膝くらいまで長いコート丈のM-65も作っていた・・・そのように、1980〜2000年頃のニューヨークでM-65を見かけるのは・・・退役軍人〜作業服〜もしくはギャングのユニフォーム、と言っても過言でないくらい狭いレンジでした・・・また以前ブログでも書いたように、当時のニューヨークの街中でOD色のM-65を着ている東洋人は、アベニューの数ブロックおきにある韓国グローサリーの韓国人オーナー(野菜市場の鑑札が付いたキャップも必需品でした)くらいで、要はファッションとは無関係なイメージ・・・

 

などなど・・・考えてみるとM-65って、マスターピースの割に実はファッションとして今まで大きく流行ったことが無かった?・・・それって、かつてのワークウエアのよう?・・・だから、今でも個人的に惹かれるのでしょうか?・・・

 

う〜ん、となると・・・本当の波はこれから?・・・私的にM-65は大好きでしたが、ここしばらくは他のファティーグジャケットなどと共に過去という引き出しに入れたままでスルーしていました・・・が、フィールドジャケット好きとしてはそろそろかな、なんて(笑)?・・・

 

(オオフチ)