フィレンツェに行ってきました。数年前にヨーロッパデビューした私ですが、イタリア圏はこれがはじめて。また今回もアメリカに長く住んでしまったことを後悔(?)するはめになりました。

というのは、メシや身だしなみなど、生活の基本を当たり前に楽しんでいるような印象をフィレンツェの人々から受け、自分がアメリカ生活をはじめるに当たって最初に捨てざるを得なかったそれらの楽しみの大きさを再認識させられたからです。

そこで思うのが、もし自分がずっと日本に住んでいたら? ということ。
どんな仕事をしているのか? そしてどんなカッコをしているのか? もしくは生きているのか?
こればかりは時間の経過もあって取り戻せないし、想像するしかないのですが……。

でも、いつも友人たちに言われるのは、それは無い物ねだりだということ。どこにいてもそれなりの良さがあるし、逆にデメリットもあるということらしい。

しかし、フィレンツェで日曜の朝にブラブラ散歩して、このように川岸に佇んでみたりすると、時間や理屈を超えた何かを感じます。100年前もここで同じように何かを想い佇んでいた人がいたはず……。

歴史は多くの人々の生活=楽しみや苦しみ=を飲み込んでさらにどこかに動いていく。だから人間は、そのひとコマひとコマをきちんと楽しまないといけない義務がある。

などと分けのわからない言葉が口をついて出てきたりするのも、イタリアの歴史の重みのせいでしょうか。(オオフチ)